松野泉さん(映画監督)

『さよならも出来ない』場面写真

3.

ーーー具体的な映画のお話に入ります。『さよならも出来ない』のキャラクターはカップルで登場することが多いように感じます。例えば公園のサングラスをかけた若いお兄ちゃんとその恋人のカップルもシナリオ的には一人でも良いですよね

松野:そこを意識していたわけでは正直ないんですけど。でもまぁいつも思うんですけど、ワークショップでやってて、やっぱ二人って正直言うとあんまり面白くないんですよね。二人よりも結局そこに第三者が入ったときにドラマが生まれるっていうのがあって。だけどそう作るためにはやっぱ二人の関係が最初に必要というか。今の質問の答えとしては変かもしれないけど、二人の関係を見せた上で第三者が現れたときに、その二人の関係を違うように見せたいなと。デフォルトが二人っていうのはあるかもしれません。

 

ーーー『さよならも出来ない』では仲睦まじい二羽の鳩も映ります

松野:そう言われたらちょうど昨日、今35歳なんですけど11年前の24歳のときに作った映画をちょうど上映してて。久しぶりに見直したんですけど、その映画でも全く意識してなかったんですけど、途中で池のシーンがあって、そん中にアヒルみたいなんが二羽並んでる物撮りを映画に入れてて。映画の中も二人二人っていうショットが結構あって。なんかやっぱあるんでしょうね。意図はしてないけど。

 

ーーー『さよならも出来ない』では本が重要な役割を果たします。本のことについて伺っていきたいのですが、まずあの大量の本はどこから持ってきたのでしょうか

松野:あれは半分半分で、うちの本棚丸々と、このプロデューサーをやってる田中誠一さんが住んでる家の本棚丸々持って来て、二軒分。

 

ーーー中でも比較的大写しになる本がいくつかあります。その本の内容を知っていると、また作品に奥行きが出て面白いと思うのですが、これらの本は松野さんにとって特別なものだったりするのでしょうか

松野:例えば志賀直哉とか幸田文がすごい好きかって言われると別にそういうわけではなくて。昔から敬愛している作家やからリスペクトで入れたっていうよりかは、その本の一節とか主題をたまたまシナリオ書いているときにパッと思い浮かべたから、その本にしようみたいな感じで。特別その作家やからっていう思い入れは全然ありません。

 

ーーー幸田文の『崩れ』が出てきますが、この「崩れ」というモチーフは映画の中で何度も繰り返されます。崩れるということについての考えを教えてください

松野:崩れるのはまぁ好きなんですけど、そうなった後にどうなんのかなっていう瞬間の方が好きで。これはたぶん性癖というか、そういうものもあると思います。なんかエピローグとかもすごい好きなんですよ。映画がクライマックスまで行った後のちょっとした時間というか。例えばゼメキスの『キャスト・アウェイ』で無人島から帰って来た後に、寂しい時間ちょっと流れるじゃないですか。それはエピローグじゃなくてわりと本編の中なんですけど、なんかそういうドラマチックなものが終わった後の一抹の寂しさみたいな。結構音楽でもそういう感覚があるんですけど、一番のサビが終わった後の間奏とかでちょっと音数少なくなる瞬間とか。なんかああいうの好きで。それでやってるのもあるし。でも今回の場合は性癖もあるけど、たぶんネタバラシになっちゃうけど、この話ってはっきり言ってお客さんは結構イライラしながら観ると思うんですよね。

 

ーーーそれを監督が言うと面白いです(笑)

松野:あの二人の関係が壊れる瞬間というか、例えば爆発があって大喧嘩して別れるのか、わかんないですけど。壊れる瞬間に対しての観客の欲望というか、それがある種の作品のモチベーションになるのかなっていうのは最初からあって。そういう欲望に対する一つの象徴というか、そういうもんとして入れてるところがあります。どっかで主人公の女の子もそういうものを求めてるというか、どうせだったら壊れてしまった方がいいんじゃないかって気持ちもありながらの生活だと思うし。

でもこういう象徴的なものを出すのはどっかでやりきれない部分もあって…。

 

ーーーそれをやりすぎると独りよがりな演出になるということですか?

松野:それもあるし。やってしまうのは簡単やけど、そうせずに何かを生み出す方法はないんかなっていうのはあるんです。どっかでああいう象徴的なものを出して、壊してしまった方が新しいもん積み上げられて面白い気もするんやけど。でもそれを壊すんじゃなくて、それはあることとしてなんかその上に積み上げて面白いもん作れる方法はないんかなっていうのが作品を作る僕のモチベーションですね。

 

ーーーキャラクターを本好きにしたのには何か意図があるのでしょうか

松野:イメージですけど、こう言葉で伝えられない人たちって逆に言葉を信じている人というか、そういうものに価値を持ってるからこそ、簡単に言えないとか、そういう人なんかなっていう気がして。そういう言葉に対してあんまり感覚がない人というか、あんま本とか読まん感じやと、別にもうちょっと簡単に済ませられるようなことを二人はできない。特にあの主人公の男に関しては。

 

ーーー最後の質問になります。セリフ回しが独特でした。文字をはっきりとイメージさせる発声というか。こういったセリフ回しはリスクもあると思うのですが

松野:まぁそうですよね。一番最初シナリオ書いたときは実は全員敬語で喋ってたんですよ。全てのセリフを敬語で書いてたんですけど。それをやったのは、普段の日常会話みたいな言葉で書いたときに、いわゆる日常にあるリアルなやりとりみたいな感覚が、役者の人たちの中で了解として生まれちゃうと嫌やなっていうのがあって。

説明するのが難しいけど、お芝居自体がその人の魅力を出すものにはもちろんしたくて、その二人がちゃんとコミュニケーション取ってるってものを見せたいんですけど、でもそれは、いわゆる日常会話の自然なやりとりみたいなこととはまた違うことだと思うんです。

映像に映るものとして、例えば僕と**さんがこうやって喋ってるのをそのまま映しても、決してその人自身は映らないというか。その映画と日常の違いをちゃんと明確にわかってもらうためにどうすれば良いかを考えてて。そのための一つの手段として、セリフを全部敬語のやりとりにしたんです。

この敬語のやりとりの中でもなんかお互いに、今なんか心が動くなとか、そういうコミュニケーションを取ってるっていう実感を持ってもらえたら、それがわりと信じれるというか。

最初のシナリオである程度練習したんですけど、でも最終的にそれをじゃあ全部敬語でやりとりしたときに、あまりにも観ている人からしたらやっぱり不自然なもので、結果ああいう感じになりました。

でもやってるコミュニケーションとしては、敬語からいわゆるリアルな言葉に直したとしてもおんなじようにできればおんなじことなんかなっていう。ただお客さんにはそっちの方が伝わりやすいというだけで。

例えばおばさんおじさんの役は方言に直したりしたんですけど、最終的には主人公の二人のやりとりに関しては敬語のままやっても全然成立するなっていうのがあったんで、逆にいうとあそこだけ残した。

あと言葉を書き言葉みたいなセリフにしてるのは、結構自分の中でどこまでいけるのかみたいな野心というか実験でもあったんですけどね。そういう本からそのまんま持ってきたみたいな言葉でもそこにお互いのちゃんと感情が動いていたら、それでもコミュニケーションしているようにちゃんと見えるんじゃないか。それがギリギリどこまでいけるか試しました。

 

おわり

取材・文:齊藤誠 2017.6.27

 

『さよならも出来ない』

ストーリー:香里と環は別れてから3年も同棲生活を続けている。友人や周りの人間からは関係をはっきりさせた方が良いと言われるが、家の中に境界線を引き、ルールを設け、恋人、友人でもない生活は続いている。そんなある日、環は会社の同僚の浩に食事に誘われ、香里も同僚の紀美から思わせぶりな態度を示される。さらに環の叔母夫婦が二人の状況を探りに来る。二人はなぜ離れられないのか、別れるとはどういう事なのか。決断の時が訪れた。

出演:野里佳忍、土手理恵子、上野伸弥、日永貴子、長尾寿充、龍見良葉
余部雅子、柳本展明、上西愛理、今井理惠、宮前咲子、篠原松志、田辺泰信、堀田直蔵、辻凪子

監督・編集:松野泉
撮影・編集:宮本杜朗
美術:塩川節子
録音:斎藤愛子
制作:鶴岡由貴
録音・助監督:斗内秀和
メイク:森島恵
音楽:光永惟行
プロデューサー:田中誠一

制作・配給:シマフィルム株式会社

2016年/日本/76分/HD/STEREO

公式サイト:good-bye.cinemacollege-kyoto.com

Pages: 1 2 3

actdirect